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   ア ク タ   acta  第8号 
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                               1996/10/10発行

              フォルカード猊下葬儀 −電報−
 1885年9月12日、 南フランスの古都エックス・アン・プロヴァンス大司教フォルカードが天に召されると、「ル・モンド」をはじめ、フランス全国紙・地方紙がその死を報じた。 そのうち、 「ル・フィガロ」 は、13日付で略歴と人柄などを紹介したのに続き、15日付で葬儀の模様を詳細に伝えた。 以下に、15日付の記事の訳出を試みた。    [ ]は訳補

 本日午前10時、フォルカード猊下の葬儀が執り行われた。7時になると、 マルセイユからの汽車が大勢の人々を運んで到着した。教会関係者、 軍人、そのほかにも重要人物が目立った。だれも皆、彼のすばらしさと立派な高位聖職者としての生涯を称賛していた。
 感動的なまでに、はっきりと類似した[前半生と後半生は、]他に類を見ない。すなわち若い時には、 セシル提督に中国海域の果てまで連れて行かれ、 琉球という中国の島で、 未開の人々のただ中にあって度々生命を危険にさらしたものだった。 そして、 フォルカード神父は、 現地の人々とフランス政府の間で通訳を務めた。 一介の教皇代理として遠方に福音を伝えに行き、 死がヨーロッパ人に情け容赦なくおそいかかる国で、 どんな危険な目に遭っても死することはなかった。 大司教の[前半生の]栄光の時代と後半生は、切り離して[語る]ことはできない。
 [フォルカードは] ヌヴェールの司教座を離れ、 エックス、 アルル及びアンブランの大司教座に挙げられた。 その優れた素質によって選ばれたのである。 そして、 高等法院が置かれたこの古い都市に12年間を過ごしたわけだが、 だれもが彼を高く評価し、 その献身的な態度をほめたたえない者はいなかった。
 教区のコレラ患者たちの元で一日を過ごして戻った彼を病魔が襲った。 フォルカード猊下はなすべき努めのことばかり考えているので、 ヴァンヌナルグの子供達に堅信[の秘跡]を授けに赴いた。 病気が悪化し、 体は衰弱していた。 病が彼をひそかにむしばんでいたのだ。 しかし、 大司教はコレラが相変わらず教区に猛威を振るい、 同地の聖職者たちが何人分もの働きをしても、 人手が足りなくなったことを知った。 すると、 この大司教は彼らを元気づけようと、 感染した町や村に再び出かけて行った。
 ランソンとサロンの町も彼の訪問を受けた。 木曜の夜、 この最後の巡回で疲れ果てて、 大司教館に戻って来た。 彼は衰弱しており、 まわりの者たちは最期の時が近いことを思わないわけにはいかなかった。
 その最期は極めて模範的だった。 最期の瞬間まで自分のモットーとしてきた fortitudo mea Dominus を実践した。 「私の死が、 この災いの最後となりますように。 私がこの教区の、 そして我が祖国の最後の感染者でありますように」 と彼は叫んだ。
 大司教には、 近親者が一人もいない。 エックス首都大司教座参事会が通知状を送付した。 大司教の死因にかんがみて、 町中では何も儀式が行われなかった。 大司教館の中庭のアーチの下に置かれた柩はたくさんのローソクで囲まれていた。 60名の修道女が棺((とチーク材) の側で祈りを捧げている。 その上には、 レジオン・ド・ヌール・オフィシエ章、 サン・グレゴワールー・ル・グラン・コマンドール章など勲章が8つあった。 花輪は大変多かった。「務めを果たして倒れし者−タラスコン青年慈善団体−諸協議会−サロン市」。 その町で大司教はコレラに感染したのであった。
 整然とした葬列は、 大司教館とカテドラルの間にある広場を真っすぐ横切り、 あらかじめ指定されていた場所についた。 最前列には県知事カゼル氏、 その右には 検事総長ナケ氏、 パリエ陸軍准将がいる。コロン将軍の代理として第15連隊参謀長が出席、本日、 第111大隊−トンキンから戻ってニースに駐屯している−に認められた十字章の授与を行なう。 民事裁判所長ショエル氏、 エックス市長ゴティエ氏。 左側には、[県]事務局長ルルー氏、 エックス副知事ドバ氏、 アルル副知事タルディ氏、 第112隊の全将校、 法院、 裁判所、 検事代表、 弁護士会会長、 諸協議会、 カトリック委員会、 カトリック私立学校関係者等など。 内陣には、 アヴィニョン大司教ヴィーニュ猊下、 ニーム司教ベッソン猊下、 モンペリエ司教カブリエール猊下、 ほかに4人の付属司教、 すなわちマルセイユ司教ロベール猊下、 ニース司教バラン猊下、 ガップ司教グゾー猊下、 ディーニュ司教フルリー猊下。 プレモントレ会の司教冠をかぶった司祭、 タラスコンとマルセイユのベネディクト会士、 教区の修道会の修道士と修道女など。
 中でも元日本副領事デュリー氏が連れて来た4名の日本人の代表が注目を集めた。 彼らは、 悲痛な思いをいだいて、 彼らの国の初代教皇代理であった方に最後の敬意を表しに来たのだ。
 柩を乗せた台の後ろには、 大司教の副司教が3名いた。 中でも敬愛するマルボー師の悲しみは一際激しかった。 彼[マルボー]の父は彼が10歳のときにフォルカード猊下の手にゆだねた。 フォルカード猊下は、 父親のような愛情を彼に注いだ。 最近グアドループの司教座について取り沙汰されたのはマルボー師のことであった。
 シャヴ教会参事会員、 及び楽長ポンセ氏の指揮で、 首都大司教座の聖歌隊員による大歌ミサが行われた。 ヴィーニュ猊下が司式した。
 葬儀が終わると、 ディーニュ司教フルリー猊下が、 故人の生涯について、 とりわけてもその死について気品に満ちた言葉で振り返った。 追悼の辞は、 30日後にモンペリエ司教ド・カブリエール猊下が表明する。
柩のかたわらでの祈りが済み次第、 1873年から先のエックス大司教シャランドン猊下が眠る地下埋葬所に安置したいと考えていた。 しかし、 当局に願い出た特別許可は現時点ではおりていない。


              = 教えてください =

「アクタ」第5号で紹介したデュモン・デュルヴィルの著作“Voyage pittoresque autour du monde”の中から琉球と日本に関する部分を翻訳中です。その中で、どうしても解決できない疑問がいくつかあります。皆様のお力を貸していただければと願い、疑問点を並べてみました。

琉球関係
1)camchouという琉球の酒。バジル・ホールの航海記では、samchewという強い酒(スピリット)と記述されていますが、同一のものでしょうか。
2)Na-Fou 那覇港の南にある町。
3)ウン・シュー Oung-Chou という名前の首里の官吏。
4)mouroufacou 2種類の蒸留酒、「焼酎とmouroufacou」
5)AghiとHomar 粟国はAghiとHomar(アギとオマール?)という2つの小島からなる。

植物関係
6)canang 植物ミツガシワとしてよいものでしょうか。menyanthe flottant(水に漂うミツガシワ)、le nelumbo(ハス)が一緒に並べられています。

地理関係
7)(川)カマナフィ Kamanafi
 ウカミガワ  Oukami-Gawa
 フィガミガワ Figami-Gawa
 カサヴァガワ Kasaba-Gawa
 この他、淀川、木曽川、天竜川、荒川、最上川が列挙されています。
8)Kasi-no-Mats 長崎、大坂と並ぶ日本の主な市場。
9)Nouki-Nouko-Yama この山の上に24の参拝所があって、それが外側の神社(外宮)をなす、とあります。
10)四国海峡 四国海峡を通って九州を南から回る。
11)takakai島 松前藩の島。
12)ロンドンデリー 北アイルランド以外にもあるようですが、家に家紋がつくなどの特徴があるのでしょうか。
13)ノーザンバーランド 家に家紋をつけてるノーザンバーランドはどこでしょうか。

神道関係
14)Nouki-Nouko-Yama 9)と同じ。
15)FiougaからIdzumia 天照神社の前にいる女神がFiougaからIdzumiaへ旅をするということで、水の王と火の王が供をするという記述が一緒にあります。

オランダ関係
16)Cornelia Augusta号 コルネリア・アウグスタ号 架空のオランダ船と考えてよいのでしょうか。実際に来航した類似の船名として、Corneliaコルネリア号、Cornelis Houtman(コルネリス・ハウトマン?)号があるようですが。
17)BlockviusブロックヴィウスとFrayserフレイザー オランダ商館の関係者ということですが、架空の人物でよいでしょうか。本文の記述では、上記のコルネリア・アウグスタ号でやってきたオランダ人の医師と博物学者とあります。トゥンベリィとシーボルトをモデルにしたと思われます。
18)Onnayの城 平戸の近辺。モンタヌスの日本誌からの引用で、原典はインダイクから
 の日記のようですが。

 このうち1つでも、お教えいただければ、誠に幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。


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近況報告

中島昭子は、来年3月まで、パリに滞在予定です。
住所 Residence Robert Garric
21, Boulevard Jourdan,
75014 Paris, France


追記:中島昭子は1997年3月22日に帰国しました。

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