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   ア ク タ   acta  第4号
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                               1993/12/20発行
−−−−−“Les Missions Catholiques”について−−−−−

 『日仏幕末交流記−フォルカード神父の琉球日記−』の原著は1885年にリヨンで出版されているが、カトリックの雑誌“Les Missions Catholiques”第17巻(1885)にも25回にわたって、ほぼ同じものが連載されている。
 この“Les Missions Catholiques”については、日本ではあまり研究されていないようである。そこで、これを簡単に紹介してみたいと思う。
 第1号は1868年6月リヨンとパリで発行されている。副題には、Bulletin Hebdomadaire Illustre de l'OEuvre de la Propagation de la Foi とある絵入り週刊刊行物である。このl'OEuvre de la Propagation de la Foiというのは、1822年、フランスのリヨンで創設されたカトリック布教事業支援組織である1。発行は毎週金曜日で、予約購読制(年間7フラン)をとっていた。
 内容は、海外に派遣された宣教師の書簡や、旅行記、博物誌、死亡記事、統計、文献紹介などである。フォルカード神父の琉球日記も、こうした中の1つであった。一般信者に対して、布教事業の重要性を認識してもらうのを主たる目的としていた2。そして、購読料の一部が、布教事業の資金ともなっていた。
 1922年5月3日付のピウス11世のMotu Proprio(教皇自発教令)で、各国のカトリック布教事業支援組織の本部をローマに置くことが定められた。各国は、それぞれの評議会 Conseil Nationalを持ち、その代表者が、ローマで、各国組織の活動報告と資金の配分についての会議Conseil Superieur General を開くことになった。参加した主な国は、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、カナダ、アメリカ、イギリス、イタリア、ベルギーなどである。
 この最初の会議が同年7月6日に開かれ、ロッサム Van Rossum 枢機卿が、同会議の2つの目的、(1)布教支援に関する組織の世界的一本化、(2)各国組織の収入を一本化し、国籍を問わずに配分することを表明した。
 その後、こうした組織の改編によるものと思 われるが、1928年に雑誌のサブタイトルが Revue Generale de Toutes les Missions となり、l'OEuvre de la Propagation de la Foi編に変わった。また発行の頻度も、週刊から、1日と16日の月2回となった3。
 1930年になると、l'OEuvre de la Propagationde la Foiの組織と、l'OEuvre Pontificale deSaint-Pierre-Apotre(使徒聖ペテロの聖職者養成支援組織)の2つが一本化されることになった。それは1929年6月24日付のピウス11世のMotu Proprioによるものであった。
 そして、l'OEuvre Pontificale de Saint-Pierre-Apotreが発行していた刊行物は1930年4月をもって廃止され、6月1日号から“Les Missions Catholiques”(N゚3112)に統合された。そして6月16日号から、編者名が、les OEuvres Pontificales de la Propagation de la Foi et de Saint=Pierre=Apotreとなり、また9月16日号(N゚3118)からは編集責任者名が明記されている4。
 1931年になると、副題が、Revue generale illustree de toutes les Missions と再び、illustree がつけ加えられているが、この時代はすでに写真が主に用いられている。
 フランスでは1940年5月に、刊行物の大きさ、ページ数、発行回数を従来の半分以下にすることが、デクレで定められた。“Les Missions Catholiques”も同年5月16日号(N゚3334)までは、毎月2回発行されていたが、以後は月1回の発行を予告している。しかし、6月1日号のあと、7月1日号(N゚3336)を最後に、この年は終了している。この年以降のものは、私見の及ぶ限り、見当たらず、廃刊になったのではないかと考えられるが、第3336号にはそれに関する記述はない。6月14日にナチス・ドイツによって、パリが陥落し、以後フランスが、事実上ドイツの占領下に入ったことと関係があるのではないかと思われるが、不明である。
 なお、同誌には、多くの日本関係記事もあり、それについては、後日改めて報告する予定である。

 1 キリスト教の布教が飛躍的な発展を見た19世紀から20世紀の初頭にかけて、ヨーロッパでは250余りのカトリック布教事業支援組織が創設され、こうした雑誌の編集も行なわれた。この“Les Missions Catholiques”にならって、ミラノでは1872年4月から“Le Missioni Cattoliche”、バルセロナでは73年4月から“Las Misiones Catolicas”、フリブールでは同7月から“Die Katholischen Missionen”などが発行された。
 2 布教のようすを伝える刊行物としては、他に、“Annales de la  Propagation de la Foi”というのもあった。
 3 1928年1月1日号の表紙では、毎月1日と15日発行となっているが、次号は1月16日号であり、これ以後の号では、毎月1日と16日発行と表示されている。
 4 フランス語版は、Abbe L.Deyrieux

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