========================== ア ク タ acta 第1号 ==========================
1993/4/10発行 『幕末日仏交流記−フォルカード神父の琉球日記−』出版記念創刊号
−−−−−フォルカードの記念碑−−−−−
フォルカード神父については、フランス人のマルボー著の伝記がある。それを人に頼んで、エクス・アン・プロヴァンスの市立図書館でみつけてもらった。(本書の「訳者あとがき
4」参照。)その本の中に、運よく神父の肖像があったのでそれを使わせていただこうと思ったが、本の状態が悪く、すぐには複製の許可が下りなかった。 エクス・アン・プロヴァンスはフォルカード神父が大司教となり、亡くなった地でもある。中島昭子の夫が、今年の3月、偶然そこを訪れることになったので、神父の肖像、墓などについての調査を依頼した。その結果、カテドラル(聖堂)の中にフォルカード神父の記念碑があることが判明した。記念碑があるのはフォルカード神父だけで、そこには、神父の肖像と共にコレラで死亡した[患者を見舞った際に感染したため]と刻まれている。
−−−−−『幕末日仏交流記』の目次−−−−−
『幕末日仏交流記』 本書の目次には各章のタイトルがない。それぞれの章の始めには内容の概略が小見出しとしてまとめられているが、一覧できないので、史料として活用しようとする場合には不便ではないかと思う。そこで、各章の始まりのページと小見出しをここにまとめて掲載する。
第1章(p.13)フォルカード師の琉球到着 那覇の地方官との会見 第2章(p.30)官憲との交渉 この交渉の成功 琉球滞在を許されたフォルカード 第3章(p.46)フォルカード師の着任 琉球滞在 彼に対する監視と嫌がらせ 第4章(p.64)プロテスタント宣教師の那覇到着と着任 琉球海域に入ったサビーヌ号 艦上のルテュルデュ師と彼の上陸 艦内での聖職者としての活動の成果 ゲラン艦長と那覇の地方官の交渉
[琉球の]王のための乾杯 サビーヌ号運天港に向けて出帆 第5章(p.101)分遣艦隊の到着
セシーユ提督 総理官との交渉 ルテュルデュ師の泊 定住 外交上の晩餐
運天港周辺の小旅行 第6章(p.141)泊 におけるルテュルデュ師とベッテルハイム師の交流
運天港における総理官との交渉 第7章(p.165)パシフィック号の遭難と到着 総理官との交渉経過と結果
クレオパトラ号上のベッテルハイム師 第8章(p.185)運天港から日本へ向けて出発 度佳喇島
二つの島のこと 第9章(p.203)長崎に到着 日本の役人たちの無礼な態度
朝鮮に向けて出発 第10章(p.221)朝鮮沿岸 外煙島
朝鮮王府に宛てた提督の書簡 第11章(p.241)朝鮮出発 中国帰還 舟山
寧波 中国官吏の歓迎 ダニクール師 日本の初代代牧
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